† 内丸教会の紹介

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2015年度 主題聖句
みことばを述べ伝えなさい。時が良くても悪くても。
(テモテへの手紙Ⅱ 4章2節)


内丸教会の使命(Mission)
 私たち内丸教会は,神が創られたいのちの世界のただ中に,主イエス・キリストによって立ち,導かれている群れとして,伝えられてきた信仰を検証しながら,常に「世にある証し人」の歩みを続けていきます。

・主イエス・キリストが成し遂げられた赦しと和解を,今に生きる人々に伝わる言葉と働きによって,この世の中で証しし伝えていきます。

・主イエスがあらゆる差別や偏見の枠組みを毀(こぼ)たれたことを覚え,全ての人々に向かって開かれた教会をつくり上げていきます。

・この世にあって弱くされている人々と共に歩まれた主イエスに倣い,弱さの中に立ちつつ,一人ひとりのいのちを重んじる歩みを,共に歩んでいきます。

・神が創造された豊かな世界を,人の手による破壊や汚染から守るため,平和を求める声を,臆することなく揚げていきます。

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内丸教会・中期計画の目標(Vision)<2012~16年度>
目標1:支援を必要とする人々と共に歩むため,教会のもつ資源を積極的に提供し,若い世代から年配の方々にいたるまでが,様々な機会に集い,交わっている。

目標2:新しい世代の手に,神が創造された世界を,平和と安全の内に届けるため,平和と環境保全,その他に関わる働きを展開している。

目標3:教派を超えた諸教会ならびに関係する諸団体と協働し,盛岡の地にある様々な声に応えている。




 

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内丸教会の使命(Mission)
1.  信徒一人ひとりが「世にある証し人」として伝道を担い,身近な隣人,また教会に求めてくる人たちに,自ら証しし,伝えていく。神を中心として,共に喜びと感謝をもって礼拝守り,祈り,賛美し,支え合う。家族はじめ隣人に主の御言葉を取り次ぐ働きを,皆が覚え,力を合わせる。新しく来る人たちが心を開き,繋がっていけるように皆が心を用い,工夫していく。

2.  弱くされ,支援を必要とする人々と共に生き,また地域の交わりの内に生きられるよう,教会として力を合わせる。
高齢の方々が礼拝に集えるよう,送迎をふくめた対応を具体化する。
震災罹災者支援を,教会として,教区・地区・他団体と協力しつつ,継続して担う。
差別されている人々の存在と課題に目を向け,当事者を交えて聞き,話し合う機会を,教会として積極的に企画していく。
盛岡YMCAやカナンの園,その他関係する団体との協働を更に進めていく。

3.  世界にある多様な課題と,それに応える多様な伝道の働きの繋がりの中で,内丸教会が歩んでいることを,教会の内外に向けて証ししていく。
インターネットを用いた情報発信を今年度内に開始し,情報化時代に適応した伝道を進めていく。
平和主日はじめ年間にわたる集会や行事を,分かり易い言葉で語り,市民にも伝える。
平和,環境保全,原子力エネルギー問題に関し,関係する他教会や市民団体と積極的に連携を図り,支援その他の活動に参画する。
とりわけ,脱原発のための学びと主張を,教会として企画,実施,伝達に務める。

4.  内丸教会に与えられている施設を有効に用い,伝道と共生のために活かす。
教会を会場として学習や読書の会その他を開き,多様な人々が集い,それぞれの賜物を活かし,奉仕する機会を設ける。
パイプオルガン等の備えられた器財を用いるプログラムや利便を提供し,教会内外のさまざまな人々への扉を広くする。
施設利用のための体制を,規則策定等によって強化し,利用団体との関係を深める。

5.  内丸教会の歴史と伝統を確認しつつ,更に,時代に応える伝道を進めるために,礼拝その他の在り方を,教会として進めていく。
教会協議会や夏季修養会において,継続して日本基督教団とバプテスト教会の歴史を学ぶ。礼拝,聖餐式等についての学びを,近隣教会と協力しながら,深めていく。

 

内丸教会の沿革
1879年
(明治12年)
工藤徳太郎兄が商用で赴いていた横浜から日本語訳「聖書」を携え帰ったことに端を発する。
1880年1月25日
(明治13年)
工藤父子、千種夫妻、原ミワ、佐藤たつの兄姉が宣教師ポートと伝道師鈴木任を迎えて「盛岡浸礼教会」を設立。
1888年
(明治21年)
内丸43番地(現在のNTT)に土地と家屋を得て、これを「集会所」とし、ここに集まった牧師、宣教師そして信徒の祈りと献金によって、1890年10月23日には最初の「礼拝堂」の献堂式を行う。
1933年6月
(昭和8年)
教会総会で自給独立を決議し、教会の歴史において最も充実した時代を迎える。
1941年
(昭和16年)
家の宗教政策から生まれた「日本基督教団」に、参加・合同。
敗戦後、日本基督教団に留まることの是非をめぐって教会内で論議を重ねた結果、祖国日本への宣教の責任を諸教会と共に担い、
主イエス・キリストに在って「完全に一つとなる為に」という祈りのもと、臨時教会総会で「日本基督教団内丸教会」として教団に留まる決議を主体的になす。
1955年
(昭和30年)
新たな幻をもって現在の礼拝堂を献堂し、今日に至る。
その間、代々の宣教師とその夫人たちは「盛岡幼稚園」の設立、運営に協力し、盛岡に最初の宗教教育の灯火をともし、その責任を果たしてきた。


牧師館の紹介
bokushikan_illust3001924年,アメリカの建築家ライトの弟子とされる人物の設計によって建築。
統一されたデザインに,当時のアメリカ建築の香りがよく残っている。
改築が重ねられ、当時とは異なる部分もあるが、全体雰囲気としては宣教師館の面影を十分に味わうことができる。

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