【断想〜きれぎれ〜】復活と合理化

復活と合理化 (マタイ28章1節〜)

マタイの復活物語が,他の福音書と最も異なるのは,イエスが葬られた墓に兵士が見張りについた…逃げ出した彼らが復活のお告げを祭司長たちに報告した結果,弟子たちが遺体を盗み出したという話が捏造されてユダヤ人の間で広がった…という部分です。マタイ福音書が記されたAD70〜80年頃,ユダヤ人と教会の間で墓から消えたイエスの体について論争があったでしょう。▼死んだ人間が復活するなんてことは〈あり得ない〉〜それはイエスの弟子たちも分かっていました。けれども〈復活のイエスと出会った〉という証言,その結果,彼らがそれまでと一転,大胆に福音を語り伝える者となった。…このことは疑いない事で,私たちも証人です。▼キリスト教信仰の要は,イエスの復活を信じるか否かにある…。それは確かです。この出来事を人間のちっぽけな頭が理解できる枠で説明=合理化する試みは既に早くから試されていたことは聖書も証するとおりです。しかし,人間の理解を超えた〈いのち〉そのもの,その根源たる神の愛は,理論で証明も否定もできません。信じ・受け取り・受け取り感謝する外,この出来事を〈知る〉ことはできないのです。