副牧師見聞記

見聞記事始め

教会のこと,牧師館から見える四季,いろんなことを副牧師1年生の私,中原陽子がつれづれ綴ります。盛岡ライフもまだまだ始まったばかり。わくわくどきどきの教会ライフをお伝えします。

 

【断想〜きれぎれ〜】12人を派遣する

マタイ10章5節〜(祈祷会より)

イエスが伝道をされた中で,見落とせないのは,その最初から弟子を招いて一緒に歩み,伝道なっさったことです。信仰は個人的な事柄ですが,同時に,新しい「共同」の在り方を形成していく行為でもあるのです。イエスは決して孤高の人ではなく,むしろ市井の中を多くの人と共に生きられました。だからこそ主は,私たちの悩みも痛みも自らのこととして思って下さいます。▼弟子達の中から男12人を選び,二人づづ組にして宣教に派遣されました。まだ不十分だったでしょうが,イエスは敢えて彼ら自身で伝道を体験することを求められました。その時の用意のリストが挙げられますが,マタイの場合は可成り極端に少なくなっています。イエスが実際に旅しておられた姿をさらに理想化,極端化したのでしょう。しかし,この記事から初期の教会の巡回伝道師達の姿が彷彿と見て取れます。即ち,貧しい村々の貧しい人々の所へ,貧しい姿で訪れていった弟子達の姿と決意が思われます。▼パウロの時代になると,既に主な伝道対象地は,ユダヤガリラヤ地方ではなく,異邦の大きな都市になってますから,そんな貧しい姿ではかえって警戒され,伝道もうまく行かなかったでしょう。時と所に応じて伝道の姿も言葉も変化する例をここに見ることが出来ます。▼遣わされた弟子たちは,マタイの記事によると,病や悪霊に対する権能を与えられ,イエスと同じ業と言葉をもって伝道活動をしています。12人弟子に限られた設定ではなく,後の教会の信徒たちにも同様の働きと言葉とを持って福音を伝えることが期待されていたのです。実際,私たちの伝道の働きにおいても,確かに病が癒やされ,悪霊が追い払われていることを覚えます。主に派遣されていることの重さを覚え,祈り持って共に出かけましょう。